悠言録

 天正5(1577)年10月10日、戦国時代の三代梟雄と呼ばれ、謀略を駆使して下克上を成した希代の武将、松永弾正久秀が織田信長軍に攻められ、居城の信貴山城で茶釜に火薬を詰めて火を付け城もろとも自害した▼それから約440年。昨今では、「城づくりのスペシャリスト」「茶の達人」「ちょい悪オヤジ」として松永久秀が見直されつつある▼昨年10月、NPO法人信貴山観光協会(田中眞瑞理事長)が信貴山城址保全研究会(栗山道義)を発足。幻の天空城とされる信貴山城に光を当てるとともに、松永の牘名返上瓩房茲蠢箸鵑任い襦▼命日にあたる10日には、信貴山城の天守閣があったと言われ、現在は信貴山朝護孫子寺空鉢護法堂で「命日鎮魂祭」を予定していたが諸般の都合により断念。代わりに、王寺町観光協会が松永の墓がある達磨寺で法要を営む▼県内有数の紅葉スポットである斑鳩町の龍田川は、万葉集の時代の龍田川ではなく江戸時代後期に地元に住む国学者の発案で、カエデを植えたことに始まるという。寂れる街を何とかしようと立ちあがった町民らの懸命の活動が今の龍田川につながっている▼「温故知新」―。言い古された言葉ではあるが、地域の歴史を知り、今につなげる。いつの時代にも歴史を生かしたまちづくりはあった。奈良県民は愛郷心が薄いと言われている。ふるさとを見つめ直し、ふるさとに誇りを持ってもらいたい。(虎)

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